今週のお題「秋の歌」
COVID19に負けずにガンバロー
先日のことでございます。あいこせんせが、患者さんにご挨拶に行くと、高齢のおじいさまがあいこせんせに、人生について教えてくれます。ありがたいこってす。と、徒然なるままに書いていますが、もう少しお付き合いくださいね。
難聴でほとんど聞こえず、自分の言いたいことだけお話されます。いい話ではありますが、そこまで時間がないのでちと困ります。
畑仕事が好きで、スイカを育てているそうですが、ある日 スイカがなくなっています。娘さんに、収穫したのかと聞くと、家々、していません。誰かが盗ってっちゃったんじゃないですか。そこで、おじいさん
「盗った人はかわいそうだなぁ」
「どうして、盗られたのはわたしたちなのに?」
説明してくれます。盗った人は1)それを持っておらず、2)普通にしていては手に入らない人だったのです。3)それを盗ってしまったことは一生消えず、4)またそれがほしくなってしまって、同じことを繰り返すかもしれない。
いい話です。あいこせんせは、話を切れない人なので僧ですねと聞いていると、さらに、話は飛んで、
「有漏路より無漏路へ帰る一休み」
その下の句は違うことを言っていて、本家のものを忘れたのか派生したものかわかりませんが、一休さんの句ですね。
この句について、説明をしていただき、さらに続けようとするので、ありがとうございましたとだけ言って次の患者さんのところへ行きました。
ネットで調べると、ほんものは、
有漏路より無漏路へ帰る一休み 雨降らば降れ 風吹かば吹け
のようです。
あいこせんせはいろんなのが混じって、
有漏路より無漏路へ帰る一里塚 うれしくもなし かなしくもなし
のような気がしていて、これまた一休さんの
正月は冥土の旅の一里塚 めでたくもあり かなしくもあり
(これもいろいろなパターンがあり、本物がどれかよくわかりませんが)
と、ごっちゃになっているようです。
でも、意外といいですよねぇ。
死についての話で、死ぬということは有漏路(浮世)より無漏路(あの世)へ帰る一里塚に過ぎないのでうれしくもないし(進んで行きたいとも追わないけど)かなしくもなし(当然、すべての人が死ぬわけで、終わりのない人生というものも考えてみると恐ろしいのでカナシミすぎる必要もない)
「宿命」は、ヒゲダンの歌で、熱闘甲子園の歌だから、ほんとは、夏の歌なんか?
でも、ここでご紹介。(ズクダンズンブングン)
歌うメロディ 振り返った未来
と口ずさんで、たしかにたしかに、宿命とは、ネットで調べると前世で決まった運命らしく、つまりは、今世では、変えられないものなのですが、今世での行いが来世の運命(次の宿命)を変えていくわけです。
心の臓からあふれ出した声で現世を謳歌し、衆善奉行することができれば、来世の宿命を変えることができるっちゅうことで、未来が振り返ってくるわけです。
ふふふ、あいこせんせ、悟りましたな。
ここまで読んでくれてありがとうございます。
羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶 合掌