あいこの ブログ

ほんとうのしあわせを求めてDrあいこの旅は続きます

かーつ

お祭り気分でハッピー

よのなか、困ったことばかりです。そう言っている私自身が一番困った人かもしれませんが、なんとも、自分自身に自信が持てず地震にあったようにあるいは、方位磁針のように揺れ動いているのです。こんなときこそ、「かーつ」と誰かに喝を入れてもらいたいものです。と、徒然なるママに書いていますが、皆様、もう少しお付き合いくださいね。

 でも、お盆のこの時期に、そんな言葉に出会うというのも、きっとご先祖様たちの「かーつ」なんでしょうね。

 臨済録という本を読んでいる話を書きましたが、臨済録というのは、その名のとおり、臨済という禅者(臨済宗の名のもとですね)の言行を記録したものだそうです。

 この臨済さんが、「かーつ」(喝)を有名にしたとのこと。(ただし、最初に喝を使ったのは別の禅者だとどこかに書いていましたが)

 勉強になりますね。

 さらに、臨済の四喝(喝の中にも4種類あって、)というのがあって、喝はいろいろ効果があるとしていますが、4つ目の喝は

「一喝の用を作(な)さず」

とありました。

 これを見て、私は、すっかり悟ってしまって、

「当然、喝を受ける側にそれを受けるだけの能力あるいは時期が来ていなければ、当然、喝の効果がないのよね。」

さすがわ、臨済様だわ。と感心していましたが、ネットで調べると、あなハズカシ。

 なんと、修行を極めるト、日常動作のなかで行うことが、すべて喝になっているというような意味のようで、その他の喝をすべて包括するようなものだそうです。

 ここにきて、また「かーつ」です。

  

 やはり、禅の世界は深いですね。

 でも、ここで、この四喝を身につけた人を思い出しました。

そう、最近話題の甥っ子のこうちゃんです。

 こうちゃんの言葉や行動は決して狙っているわけではない(当然ですが)のに、深く反省を促されます。

 先日も、広島の原爆記念日に、こうちゃんに、上から目線で、

「戦争は、とても人を悲しませるから、なくなるように祈らないといけないわね。」

 といいましたが、きれいに返し技一本をとられました。

「死ぬまでね。」

 そうです。その一瞬だけ思うのではなく、死ぬまで思い続けないと意味がないのです。

 死ぬまで、修行が続きますね。

ここまで読んでくれてありがとうございます。

羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶 合掌