お祭り騒ぎで、HAPPY
今日もぜんまい侍(NHK)のお話しでお茶をこぼしてしまおうと,徒然なるママに書いていますが,皆さんもう少しお付き合いくださいね。
つくづくよく考えられたキャラクターで、話すことがつきません.(といいながら、とりあえずは、今回でぜんまい侍は終わりの予定ですが)
ぜんまいざむらいが、武士であることが、このテーマによくマッチしていると思います.
有名な葉隠(肥前国鍋島藩藩士、山本常朝の個人的見解を「武士道」という用語で説明した言葉を田代陣基が筆録した記録であると、2006.5.10のwikipediaに書いていました.)の「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」にあるように、本当の武士は、いつでも死ねることが大事だったようです.
そのために、俗世間に執着することなく生きなければいけませんでした.確か、隆 慶一郎著の「死ぬことと見つけたり」だったと思いますが、(うろ覚えです、これも間違っていたらすみません.)毎日、自分の死をシミュレーション(これもずっと、シュミレーションだと思っていて恥ずかしい)するところがあったと思います.気持ちとしては、毎日寝る時に死んで、翌日生き返るのです.毎日死んでいると、死ぬことに恐怖がなくなり、また、毎日死んでいるので、何かに執着することがなくなります.
ところで、眠る時のことというと、話は外れますが、岩波現代文庫「ご冗談でしょう、ファインマンさん」のなかに、ファインマンさん(言わずと知れたノーベル物理学賞受賞者です)が、自分が眠りにつくことを観察?した話が載っています.
「人が眠りに落ちるとき、思惟は続いていくが次第に論理的なつながりを失って」、「考えはだんだん支離滅裂になって、ついには完全にバラバラになって眠りに落ちる」と書いています.この、観察を続ける間に、自分で自分の夢をコントロールすることができるようになったとかいてあります.驚きジローです.実は、私も、経験があります.好きな人がでてきた夢のときに、何かのきっかけでこれが夢だとわかって、普段ではしない大胆な告白をして、うまくいくというものです.めったにないですが、こういう夢はとても楽しいものです.
話が、地球の裏側まで飛びました.すみません.
ここまで読んでくれてありがとうございます.
羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶 合掌