あいこの ブログ

ほんとうのしあわせを求めてDrあいこの旅は続きます

あいこブッダになる(ブタじゃないよブッダだよ)

今週のお題「最近見た映画」

コロナに負けずに頑張ろー

先日のことでございます。あいこせんせが、当直をしていると、あまり患者さんがいらっしゃらないので、アマゾンさんに聞いてみたわけです。

 すると、「めぐり逢えたら」という映画がありまっせ、というので見てみました。(ネタバレ注意でっせ)

 これは、古いアメリカ映画で、出てくる車もいかにも昔のアメリカ車でこれが当時はかっこよかったんでしょうねぇという感動からまず始まるわけです。

 めぐり逢えたらというのは日本名で、現題は,sleepless in seattleで、映画の中では、シアトルの眠れない男って呼んでいましたね。トムハンクスさんとメグ・ライアンさんの映画で、すれ違いというか、ほとんど妄想の中で育まれた愛(そこに、めぐり逢いという、さらに昔の古いアメリカ映画 ハンフリーボガードさんとエボラカーと書いて、実際に調べてみると、ケーリーグラントさんと、デボラ・カーさんと全然、名前も綴りも違っているくらい知らない映画が元にあって、それに憧れているという共通認識があるから、そのものすごい偶然を世間の皆さんが受け入れられるという確かに、上手なもっていき方だなぁ。

 ふたりが、求め合っていると認識して、向かい合うのは本当に映画の最後の最後だけで、メグライアンさんがさいごに、何度もトムハンクスさんの顔を見返すのが印象的でした。

 「マジックだ」って感じで(セリフにはありませんよ)

たしかに、これは面白いというか、見たあと、幸せ感があります。オススメでっせ。

 これで、本当にその後の二人が幸せであり続けるはずはないのですが、それはまた次の映画で、さいなら さいなら さいなら。

 そのせいかわかりませんが、あいこせんせ 急に、ブッダになりました。食べ過ぎてブタになったわけではありません。

 みんな幸せになればいいのに 苦労もしてもいいけど、でも、本当は苦労も悲しみも経験しないで、幸せになってしまえば一番だ。でも、どうして、お釈迦様は、死んだら、涅槃に入るっていうのかしらん。死ぬだけで、何が変わるのかしらん。と思ったときに、あいこせんせ 悟っちまったのです。(これがブッダです)

 ネット情報によれば、求めていた心理に到達する=覚者=ブッダ

 死ぬことは、止まることです。思考が止まることが、(何も考えないことが)幸せなのです。すべてを知ってしまうことで思考が止まる(全知全能になる)と究極の覚者になるので、それは涅槃に入るわけでしょうけれど、強制的に涅槃に入れる方法が、死です。

 だから、生きている限り人間は苦しみ続けるわけで、幸せを求め続けるのです。(生きたまま、全知全能になれるという人は多分いないから)

 少しだけ、幸せを感じる方法があります。それは、一時的に思考を止めることです。

 今の現状が、以前と比べてわずかでもよくなっているところがあるあるいは、今の状況で、命がある(なかったらごめんなさい)ことを認識して、一旦、そこで、思考を止める(今までのことで満足できることがあると理解する)と、一時的に幸せを感じる。

 でも、人は、考えないわけにはいかないし、世の中はすべて変化し続けているので、同じところにとどまれず、また、苦しみはやってくるわけです。

お釈迦さまは、だから、世の中は苦しみにあふれているというわけですね。

すると、綾小路きみまろさんも言うわけです。「人はみんな幸せになりたい生き物だ、しあわせを求める生き者だ、でも幸せになれないだけ」

 あいこせんせ、ここにきて、ブッダになった、腑に落ちた。

 

黛敏郎:涅槃交響曲

黛敏郎:涅槃交響曲

 

 

 ここまで読んでくれてありがとうございます。

羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶 合掌