おまつり気分でハッピー
先日、「嫌われる勇気」自己啓発の源流「アドラー」の教え ダイヤモンド社 著 岸見一郎 古賀史健を読みました。私の考えにたいへん近いなぁとアドラーさんに親近感を覚えています。と、徒然なるままに書いていますが、もう少しおつきあいくださいね。
私の理解では、何となく、仏教の考えに近い気がするのですが、間違っているのでしょうか。
自分の理解のためも含めて、アドらーさんとぶっきょの考え(あくまでもあいこさんの考えるぶっきょです)の比較を試みましょう。
アドラーさんの本では、章立てではなく、夜立てになっているので、今回は、
第一夜 トラウマを否定せよ
アドらーさんはこう言っているように思います。
過去は現在に影響をしているが、人間は変わることができる。変われないのは、自分自身が、変わらないことを望んでいるからである。
この状況が変われば幸せになれると考えているのは、自分に能力がないことや努力が足りないことを認めないで済ませるためなのである。
ぶっきょさんは、こう言っていたと思います。
すべては、因縁によって成り立っている。いいことも悪いこともすべて、過去に原因がある。能力や努力が足りないから今一つなのであり、逆にうまくいっていたとしても、努力や能力だけではなく、それまでの人間関係などが好影響を与えているのである。
ここまで書いているとまるっきり反対の話のようにも思えるけれど、現状に対しては、昔の自分の行いやら縁やらなんちゃらが影響しているけれど、今この時から先の自分の行く末を決めるのは、自分の行いで、八正道をこれから行っていくことが重要ですよ。
どうです。似ているような気がしませんか。
しませんね。
じぶんでかいていても、まったく説得力のない文章で、だからあいこさんは小説かではなく、国語のせんせでもなく、お医者になったんだと分かりました。
嫌われる勇気はお読みになる価値はありますから、ぜひどうぞ。
ここまで読んでくれてありがとうございます。羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶 合掌