臨済録なんて本を読んだりして、多少メランコリックになっているわけですが、きっかけは、先日、病院の職員さんのだんなさんが自殺されたという話がきっかけです。と、徒然なるママに書いていますが、皆様、もう少しお付き合いくださいね。
いつもは元気にでお仕事されていた方ですが、今後どうされるだろうかと心配です。自殺というのは、議論を否定するものなので、残されたものにとってはとても大きなダメージを負わされます。
これから大変だろうなぁと思いながら廊下を歩いていたら、
「ただ狂え」
という言葉が思い出されました。
以前に読んでいた、「狂いのすすめ」ひろさちや著で紹介されていた、閑吟集の中の一節とのことです。
「何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂え」
本の表紙の袖書きには、世の中がちょっとおかしいので、そのなかで「狂者の自覚」を持って生きるとかえってまともになれると単純に書いています。
実際、ネット上の書評でも、この部分を強調して論理的でないと書いてあるものもありましたが、実際には、「狂う」の意味は世間の常識から「自由」であることと書いているようです。
どんどん、最初の話からずれていきますが、「ただ狂え」と感じたのは、世の中のいろいろがつらすぎて仕方ないときに、それに対抗する方法としては、「ただ狂う」しかないのかなぁと思ったのです。
書きたい意味合いが、ぜんぜん伝わりませんね。力不足です。まあ、私のもやもやをただ吐き出すためのきっかけなので、お許しを。
ここまで読んでくれてありがとうございます。
羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶 合掌